YEC TouringReport能登半島と信州・安曇野VOL6
YEC TouringReport能登半島と信州・安曇野VOL5の続き
3日目
8月14日(晴天)
今朝は温泉旅館なので早めに起きて檜風呂にじっくり浸かって、眠気を覚ました。今日は昼食が早めになることと、旅館の朝食がごく一般的なものだったので軽めにして 大王わさび農園に向うことにした。駐車場で荷物をパッキングしている間に誰にでも慣れてじゃれてくる宿の黒猫の愛嬌のあるしぐさが宿泊客の人気になっていた。恒例となる宿の玄関先で集合写真を宿のご主人に撮ってもらった。宿のHPに掲載するということなのでご主人のデジカメでも撮影(HP 松柏日記 8月14日に掲載)して宿をあとにした。
出発してからの一般道は地図に現在地が不明だったのでかなり適当に走っていったが、何とかJRの穂高駅を目安にして地図を見ていたので順調に進み、方角としては間違っていなかったが明確な道案内の表示がなく、本来ならば渋滞するルートとは逆からすんなり行けたはずなのだが、わざわざ遠回りしたようで渋滞の中に入ってしまった。今日も天気は文句の無い晴天なのでバイクの水温計は急上昇し、オーバーヒート直前の状態になった。道幅は狭くて容易にすり抜けもできないので筆者自身の諦めムードはMAX状態になった。当然他のメンバーも同様のため協議した結果、大王わさび農園はパスすることになり、本来その後に食事を予定していて事前にリサーチ済みの“そば庄”安曇野店がすぐ手前だったので戻り、未だ開店時間の11時より前であったが少々早目に昼食を取ることになった。
各自好きな物を存分に味わったら、このあとはどこへも立ち寄らずに帰路に付くだけだ。IC手前のGSで給油して長野自動車道豊科ICから中央高速自動車道へ続くルートで一気に東京方面に向う。最初の梓川SAではコンビニ(最近SAに増えてきた)もあるので二日目同様に凍ったペットボトル飲料を購入しておいた。そこには先ほど大王わさび農園で食べそこなった“わさびソフトクリーム”があったので迷わずに食べてみた。若干わさびの香りと辛味がするだけで普通に美味しい。地方のSAにはご当地メニューがあるので高速道路での楽しみが増えてきた。
最終日も上り方面での渋滞もほとんどなく、双葉SAでは水分休憩、談合坂SAでは給油も兼ねて十分休憩し、最後の石川PAで休憩後に流れ解散になった。続いて首都高も順調に流れていたので西新宿JCTでいつもの中央環状線から板橋JCT,江北JCT経由で川口線新郷ICで首都高を降りて次回のツーリングに備えてGSで給油後に17時頃草加に帰宅した。
走行距離 270KM
担当 齋藤
<後記>
今回のツーリングで筆者が印象に残ったのは富山県内の田舎道から峠越えまでの一般道を十分堪能したことだ。筆者がまだ20代半ばで今から25年前頃になるが毎年お盆を外して取る会社の夏季休暇は好んで各地をソロツーリングしていたが、仕事上クライアントの納入先として富山県内の複数の製薬会社と取引があり、厳冬期の納入は降雪の影響を受けて納期に間に合わせるのに苦労したことなど何かと馴染みがあってプライベートで何度か訪れたことがあった。当時は今回とは真逆のルートで松本から上高地、安房峠、高山、飛騨を抜けて一般道のみで富山市で一泊し、翌日高岡から能登半島へGSX400RRでツーリングしたことを思い出す。現代のように高速道路は完備されてはおらず、地図を頼りに一般道をひらすら走る訳で、興味深い場所があればぶらりと気ままに立ち寄り、そこでは地元野方や一緒になったバイク仲間とのコミュニケーションがり、道路事情などの地域の情報交換の場でもあった。当時はそういった触れ合いもツーリングの楽しさであった。最近では高速道路網が発達し、バイクのETCも普及し料金はクレジットになり、現金が手元に無くとも時間が急に空けば気軽にツーリングに行ける大変便利な時代になった。無人の料金所を徐行しながら通過するだけで、料金所を出る際に料金表示盤とのアイコンタクトはあっても料金所の親父さんに道を尋ねるなど、コミュニケーションがなくなって既に何年経つだろうか?そのうちETCとカーナビが一体化されて普及するような時代になれば道を尋ねる事も不要になり、ますます拍車が掛かるであろう! このレポートは今更ながら、あくまで筆者の独断と偏見で自由気ままに書かせて頂いているので読者に共感を求めているものではない。基本的には事実や史実に基づいたノンフィクションと筆者なりに感じた事や楽しみ方などを記載しているので淡白な内容にはなかなか収まらない。どちらかと言うと単純に自分達が楽しむために計画して実行した事への反省会的なもので、次世代へ何かを伝承しようとする意思もないので長文のツイッター的なものだ。上手く言えないが社会の一員として役割を果たして、また最低限のマナーやルールを遵守した上で、気のあう仲間達と楽しいバイクライフを共有したいとの思いは16歳から乗り続けて今まで34年間のバイク人生で変わることはない。その中で現道交法や二輪社会の矛盾点、高速の無料化やETC問題、住宅事情とバイクが取り巻く環境を少しでも改善、向上するために常に先頭を走っている筆者目線で今後も問題提起や個人的な感想を綴っていきたいと思う。 そんな流れにより蛇足であるが、筆者のソロツーリングにおける個人的な楽しみ方を紹介したい。観光地での旅館や他人との相部屋になることを前提したユースホステル等は好まない。敢えて駅近くのビジネスホテルに早めにチェックインしてその周辺を中心に街を散策し、繁華街で飲食することである。地元の美味い料理や酒はやはり地元の方に教えてもらう方が確実で、まず間違いはない。できるだけお薦めの物を流されるように素直に頂く事にしている。それが礼儀というもので、富山市はそんな大人の旅の楽しみ方を味わった思い出がある街なので今回は趣旨が違うので残念ながら立ち寄る事ができなかったが、一度は訪れてもらいたいところなので紹介しよう。 富山市はとなりの高岡市とともに路面電車が市街地を走っている都市(北陸ではこの他に福井市)で、面積は富山県の30%の占有率を誇り、その割合は全国一らしい。地名の由来は“越中国戸山郷“からきた説と立山連峰など周囲が山に富んでいる事からきたとされる説があるが一般的には後者が通説らしい。昔から路面電車と車、歩行者がうまく調和しながら、一方表には富山湾、背後には北アルプス立山連峰が立ち並び、筆者がこれまで訪れた都市(北海道から大阪まで)のなかでも他に類を見ない壮観なロケーションと機能性を持つ都市である。また毎年9月初めの3日間は八尾地区では”おわら風の盆“と言う祭りが行われ観光客で賑わうそうだ。 当時もバイクで北陸まで行くと随分遠いなーと感じたが、現代でも全線高速道路網で接続され、早朝に出発してきても富山市までは約7時間要する。将来時間が自由に使える年齢になれば、今度は富山市の路面電車と高岡市の路面電車である万葉線を走破しながらゆっくりと市街をまわって美味しい物を食べ歩く旅行をしてみたい。2014年に現在の長野新幹線から延伸して開業予定の北陸新幹線なら東京→富山は2時間10分なのだ。最終的に金沢から大阪へと繋がるので関東のみならず、北陸地方の方にも利便性の高い交通手段になる。バイク走行が困難な厳冬の季節でも、また飛行機嫌いの筆者でも思い立ったら新幹線で富山湾の美味しい海の幸を食べに北陸へ出かけることも可能になる!
以上