YEC TOURING REPORT 福島復興支援in会津柳津
YEC TOURING REPORT
日時 : 2012年10月29(土)、30(日)
目的地: 会津柳津町協賛 第二回福島復興支援ツーリング
参加者: 杉本、山中、山中、齋藤、西村、春日、吉野、安部、宮川、根本
集合場所: ショップ前 7:00
全走行距離: 592KM
1日目
9月29日(晴天)
今年も福島復興支援ツーリング実行委員会のご尽力により第二回目が実施されるというので昨年に引き続き参加することになり、筆者達のクラブはわがままを言って昨年お世話になり、仲間内で好評であった“瀞流の宿 かわち”を押さえてもらうようにお願いしておいた。今年も開催自体が年初では不明だったので正式な年間スケジュールには入れておらず、前週のモトパラダイス関東に引き続き二週連続のツーリングとなったが、やはり勝手知るところの会津地方へのツーリングは筆者にとっては生まれ故郷へ帰るという感覚で落ち着くものを感じる。
今回は足立のショップ前からは今回が初参加の根本氏を迎えて7名で出発し、現地集合の3名を加えて合計10名になった。昨年が6名だったので今年は多少賑やかになりそうだ。問題は9月のこの時期は台風の影響で雨に祟られてしまうことである。開催が昨年より一週間早いため、10月に入れば穏やかな気候が期待できるが、微妙な時期である。今週も台風の影響で二日目の午後は関東では雨模様の予想になっているため、早目に帰宅するように予定を組むしかない。
基本的には昨年と同じ場所、宿での宿泊で、メンバーも半数以上が昨年来ているので、初日のコースは昨年のものとは限りなく違うルートを選定した。国道122号から浦和ICに入り、東北道では蓮田SA,上河内SAで休憩を取りながら西那須野塩原ICで降りた。ここのゲートを出たところで我々の内一台がETC不通過を係員より指摘された。最近当クラブ内でも頻発しているが、これは不正通過を防止するためJHがゲートの開閉スピードを遅く設定した影響で、入場時にしっかりスピードを落として前車との間隔を取って通過しないと、機械本体に認識されず、ゲートが開かないようだ。つまり入場時にアウトになってしまうという事なので退場時にどのようにして出た(スピードが速かった)のかは関係ないのだ。前車に続いて連続して入場せず、間隔を開けてゆっくり入場することが重要である。
南会津方面に向かう際は主にこの西那須野塩原ICから目の前を走る国道400号線を右折して塩原温泉郷を抜け、上三依で国道121号線へ合流して北上するルートと白河中央ICから国道294号線を経て羽鳥湖から下郷に出るルートの二つがあるが、今回は毎回のように立ち寄っている下郷の大内宿をパスすることで前者のコースを選択し、会津田島の分岐を左折して国道400号線から国道401号線、県道32号線で西山温泉を経由して国道252号線に繋ぐルートにした。昨年の会津高田から県道53号線での柳津までのコースは大内宿での昼食することを基準にイベント会場には開始時間の15時までに到着するようにシュミレーションしてネットの口コミ情報の評判を信用して選択したものだが、コースとしてもかなり田舎道の野趣があふれる、また無駄のないタイムリーな街道だった。反面道が細く、路面も10月ともなると落葉が気になり始めて中級者以上でないと危険であったかもしれない。
今回のコースの県道32号線は途中道路工事で一部にはダート路も出現して連なったダンプカーから巻き上げる粉塵で苦労したが、ほぼ全線舗装路で予想以上に走り易い道であった。後半は県道32号線が意外に長く続いていたので最後に少しだけ経由する県道366号線の存在を忘れてしまい戸惑ったが、方向的には誤りはなく、ここで間違えても最終的には国道252号線に出ることになっていたので安心はしていた。
快調に走り抜けてしまったが、途中の西山温泉郷は先週モトパラダイス関東で年に一度は交流させて頂いている新潟市のショップであるSBS青山さんの常連さんより是非お勧めの温泉という事を聞いていたので時間があれば立ち寄り湯や散策をしてみたかったのだが、今日のイベントの開始時間と翌日の天候の兼ね合いもあって今回は見送らざるを得ない、まあ次回以降の新たな楽しみとして取っておこうと思う。
国道252号線に合流すると、まもなくイベント会場の道の駅“会津柳津”に到着した。入口で実行委員会の方に駐車場に誘導されるとそこには仙台から現地集合した西村氏のBMWが既に駐車していた。少し前に到着したばかりのようだが、実は西村氏はこのイベントを一週間間違えて先週も途中まで来ていたそうで、先週自ら発したメールにより我々の知るところになったが、仙台から喜多方まで来てしまったらしく、一週間ずれているという事実をモトパラダイス関東に向かう途中の山中オーナーより知らされ、猪苗代を経由して急遽日帰りツーリングにしたそうで、天然ボケは歳を取っても相変わらずのようだ。(笑)
復興イベントは15時からであったが、今年は同時期に関東圏で複数のイベントと重複してしまったこともあるのだろうか、集まりが悪くて最終的な参加者約80名は昨年の半減といったところであろうか?昨年は模擬店の出店もあったが、今年は出ていないのが寂しい。どうせなら柳津のB級グルメをこの場でアピールすべきではと思いつつ、筆者は何か地元の名物を探して道の駅の売店であわソフトクリームを食べてみたが、あわでつくったシロップの甘さが控え目でさっぱりしていて美味しく、炒ったあわのトッピングが楽しい食感を味わえる。夕方になると今年も会場では昨年同様、筆者は食べたことが一度もないが、評判の良い柳津の地元産の“きのこ汁”が無料で振る舞われたようだ。
今年も挨拶した柳津町長が元気そうだったのは何よりである。柳津町民の活性化のため何かと先頭に立って頑張って欲しい。イベント開始後の16時前には昼過ぎまで仕事をしていた春日氏や栃木に前泊して途中から駆け付けた宮川氏も到着して、これで今回の参加者全員が無事到着して揃った。
皆が無事に到着して安堵したこともあるが、二週連続という事もあるが、最近いささかこの手のイベントに飽きてしまったので筆者と杉本氏は昨年同様に早目にイベント会場を切り上げ、そのすぐ裏手にある宿“瀞流の宿 かわち”に一足お先にチェックインしてまだ誰もいない露天風呂に日の明るい内から入らせてもらうことにした。昨年は気温の寒さ、特に風が冷たかったので耐え切れずに同じ状況に至ったが、一年も前のこのことを出迎えてくれた女将が覚えていてくれたのが嬉しかった。
結局筆者と杉本氏でゆっくりと露天風呂に浸かってから缶ビールでのどを潤した。お湯は塩化物泉で無色透明、内風呂は丁度良い温度に調整されているが、すぐ外の露天風呂は少々ぬる目のかけ流しなのでゆっくり長湯するのがお勧めである。
宿は只見川沿いに柳津の中心部にある朱色の瑞光寺橋のたもとにあり、頭上を見上げると虚空蔵尊・圓蔵寺が高台から見守る場所にある。柳津はこのお寺を中心に栄えた門前町で古くから宿坊として栄え、現在では柳津温泉旅館として旅人を迎えている。柳津駅には会津線で活躍したSL(C11244型)が展示されており、そこからの旧街道の街並みにはその面影が今も残っている。
そんな景色を眺めながら夕涼みをしてくつろいでいると“ガアーガアー”と異様な音がしてきたので蛙がいるのかと思ったが、どうもカモが群れで川面を行きかって発している音らしい。部屋の窓の向こうには只見川の土手下に船着き場があり、小さな観光船も出ているようだ。この辺の只見川は緩やかで雄大な流れであるが、下流の喜多方では阿賀川と合流し、県境を越えて新潟県に入るとその名前を阿賀野川に変えてやがて信濃川と合流して日本海へと注いでいる。昔はこの航路を利用してニシンや棒たらなどの北海道の海産物(乾物)が北前船などを介して貴重な動物性蛋白源として新潟より山深い会津地方へ運搬されていた。
19時半頃になって最後までイベントに参加していたメンバー達がようやく宿に到着した。イベント終わりでやむを得ないが、20時からの夕食は宴会場で他のイベント参加者達と一緒になり、かなり賑やかになった。料理は昨年の第1回目は復興支援という企画で宿も採算度外視で通常よりもサービスしてくれていたと思うが、今年は鯉の甘煮やこづゆなどの郷土料理が出なかったところを見ると2ランクは下の感じは否めないが、それでも品数や量で十分堪能できた。宿泊することが復興支援になるので今年はやむを得ないところか?柳津にはあわ饅頭のほかにあわ焼酎もある。昨年は柳津産のあわから醸造する地酒として提供してもらって、皆の評判が良かったが、震災で醸造蔵が倒壊してしまった影響で品数が出まわらなかったが、今年は順調だったようなのでこの宴会でも美味しく頂いた。
これは土産に持ち帰ってハワイに定住している筆者の友人が日本に一時帰国していたので、たまたまその晩に宴席があったので飲ませたが、お世辞抜きに美味しいと絶賛していた。
走行距離 265KM
2日目
9月30日(晴天)
5時過ぎに一度目が覚めたが隣で寝ていた杉本氏は既に風呂に出かけたようだった。自分はまた寝てしまったので6時頃に再び起きて眠気けさましに露天風呂に行ってみた。意外に空いていたのでゆっくりと浸かることができた。7:30に宴会場で朝食を美味しく頂いたあとはすぐ隣のロビーにてコーヒーの無料提供してくれるのはコーヒー党の筆者にとっては嬉しいサービスである。
出発は宿の玄関前からバイクのクラブ単位で記念撮影して女将や仲居さん達が見送ってくれる。夜露で濡れたバイクを拭くために使用済みの宿のタオルを再利用に用意してくれているのもライダーにはとてもありがたいサービスである。
やはりこの宿は色々な面で細かいサービスが行き届いており、建屋は少々老朽化しているが、評判が良いのは女将の客への心遣いがしっかりとしていて、客の要望をできる限り受け入れてくれるからであろうと容易に想像がつく。最後に女将がきちんと挨拶をして見送ってくれるとこちらも気持ち良く宿を出発できるし、次回もリピートしようという気持ちになるのは至極当然である。
昨年と同じように宿から見える二つ並んだ朱色の二番目の橋である柳津橋を渡った先にあるガソリンスタンドは宿と同じ経営なので“かわち”の宿泊者であることを店員に告げるとリッター当たり5円引きで給油ができるため、このサービスは是非受けておくことをお勧めする。筆者も僅か3リッター程ではあるが給油しておいた。宿を出たあとにもこのサービスを受けらえるとは珍しいくらい気の利いた宿であり、バイクやマイカーでの旅人には嬉しい限りである。その後、昨年は参加していないメンバーのために会津柳津駅の先にある虚空蔵尊・圓蔵寺に立ち寄り、境内の舞台より柳津町を一望できる絶景ポイントへ案内した。昨年あった大きな赤べこの張りぼてがなかったのが残念だった。
ここ柳津は会津地方の代表的な郷土玩具である赤べこ発祥の由来の土地である。舞台から見える眼下の只見川も昨年の増水後の茶色に濁った色から一変して深緑色の穏やかな流れであった。これら阿賀川、只見川などの会津盆地を潤す豊かな水系による恵みと肥沃な土壌が米どころの会津地方を支えており、また会津盆地での朝夕の寒暖の差が良質のそばの実を育てている。
ここからは昨年と同じルートになるが国道252号線を会津坂下町で右折して国道49号線で会津市内に向かう。ここを直進するとそのまま磐越道の会津坂下ICであるが、早目に帰宅希望の杉本氏はここから直帰するとのことで、ここで別れることになった。
市内では幾つも土産物のお店はあるが、筆者個人的な好みもあるが、定番である三万石で“ままどおる”と“エキソンパイ”の詰め合わせを土産として購入した。“ままどおる”は比較的高速の福島、栃木県内のSAでも購入できるが、最近では“エキソンパイ”は販売していないので会津に立ち寄った際は必ずこの会津の城前店で購入しているが、会津若松市内、福島市内、本店がある郡山市内の各直営店でしか購入できなくなり、それほど高価なものではないが、いつしか貴重な存在になった。しかし美味しさは最高級と筆者は思っている。
この辺は子供の頃に夏休みになると一か月は東山温泉にある母の実家で過ごしていたのですぐそばの会津若松城敷地内にある市営プールがあるが、何を争っても勝てなかった二つ上の従兄と自転車で山から下り坂を駆け下りてプールに通った思い出がある。行は下りで良いが、帰りは上りなので自転車で大汗をかいて帰った。プールに飽きると家の近くの東山温泉街を流れる湯川では渓流釣りや仕掛けを作ってアウトドアーに慣れ親しんだ。
そんなノスタルジックな思いにふと駆られてしまったが、今日は折からの台風の影響を考慮して早目に会津をあとにして磐越道より東北道を経由して関東圏内に入る予定でいるので高速道に入る前に最後の立ち寄りをすることにした。城前より御薬園から慶山を経由して白虎隊で有名な飯盛山を過ぎて滝沢口より滝沢峠に入った。相変わらず路面は良くないが筆者にとっては心躍る峠の一つである。峠の中腹からは会津若松市内が一望できる場所がある。強清水(こわしみず)より下って来る時は会津に戻ってきたと実感できる風景だ。今回はミラー越しに暫しの別れを告げて次回の来訪は早くても来年以降になるだろうか?
滝沢峠は軽快なワインディングなので車で帰省する時は車酔いし易い母や妹は昔ここを通るのを嫌がった。標高差約300Mを上がりきったところに強清水がある。そこは今も昔も峠のお茶屋であり、白河方面(国道294号線)からと郡山方面(国道49号線)から会津若松市内への分岐にあり、旅人が休憩や食事をする場所である。名物は強清水の湧き水を使って作られる打つたてのそばと最近では珍しくなくなってきたが、まんじゅうの天ぷら、ニシン、スルメいかの天ぷらが有名である。特にこの店のまんじゅうの天ぷらは甘さ控えめで美味しいので、ここに連れてくる仲間には是非皆に食べてもらいたいので筆者が振る舞うことにしている。薄い衣に醤油を少し付けて食べるのが定番であり、三軒並んだ茶屋の中でも“もろはくや”という屋号の菅井商店さんは父親の行きつけだった店で筆者ら家族にとっては幼少より故郷の味なので父母へのお供え用として土産に二個ずつ購入した。
ここからは国道49号線を郡山方面に向かって走ると猪苗代湖が右に見えてくる。見慣れた風景ではあるが小石ヶ浜辺りから先は湖水で遊んだ懐かしい場所。湖面が磐梯山から吹き降ろす風は既に秋の気配であるが、キラキラと白く波立ってとても眩しい。
やがて野口英世記念館を通り過ぎて49号線を左折し猪苗代磐梯高原ICより磐越道に入る。最初の五百川PAで休憩して帰りのコースを確認した。筆者はほとんど白河から294号線でのショートカットのコースを選択しているので今回は久々の磐越道である。途中の郡山JCTで間違わないように団子で東北道の上りに入った。東北道はスムーズな流れで途中の那須高原SA,上河内SAで休憩を取りながら何とか台風による雨の影響もなく、最後は羽生PAで休憩して解散となった。
筆者は浦和ICでいつものように一般道で16時頃草加に帰宅した。
走行距離 327KM
担当 齋藤
<後記>
ライディングは人それぞれ個人差があるのは当然であるが、筆者は常にネガティブライディングを心がけている。前を走る車が急な停車や左折をする可能性を想定して危険回避できるよう車線の中央を追走し、速度や車間距離を見極めて次に起きる事象を先読みして対処しようとするものである。永年の経験で自然と身に付いたものであるが、どちらかと言うと前を走っているドライバーを疑ってかかっているのだ。特に営利目的で客を拾って流しているタクシーはその考えで対処しないと大けがをすることになるであろう。普通であり得ない行為でも日常的にしているのでこちらも自衛できなければならないのだ。
走行中の事象、トラブルはその行為をした相手が一方的に悪いのではなく、予想できない自分も悪いことを認識しなければ成長はない。見通しの悪い交差点ではどんなことが起きるか分からないので最悪のケースを想定して手前で減速しておかなければならないし、歩行者、特に老人や子供の場合は信号機の存在をあてにしてはいけない。また道路工事で急に未舗装が出現しても進入前までに予め減速して進入後はブレーキよりアクセルワークで走り抜けなければならない。筆者はクラブの先頭を走ることが多いので常にこれらのことは肝に銘じて走っている。時にリミット時間に合わせてペースアップすることもあるが、それらは過去に走ったことがある道に限ってであり、臨機応変な対応をすることも経験値から可能になる。
筆者もHONDAのレプリカに乗るようになってからは日本のメーカーがレースで培った技術が市販車にも広くフィードバックされ良く曲がり、良く止まるようになり、ライダーは自分の技術が向上したかのように錯覚をしてしまう。高速道で追い越す際の車線変更時は常に1速落として確実に加速することが必要であるし、前のバイクに釣られて後方確認もせずに一緒に車線変更は大変危険であることを肝に銘じて運転しなければならない。最近は自らの過信なのか、超ポジティブなライダーが車線変更をめちゃくちゃにして猛スピードですり抜けていくことが多く、筆者も肝を冷やしたことが何度かあるが、後方からの予測は大変難しいので絶対に避けるべき行為である。後方からの反則は一発退場のレッドカードであることは子供でも認識している。
近年、幸か不幸か現代のバイクの進化によりABSやトラコン等の装備がついたバイクは簡単にコケなくなっている。それに伴い、車両の価格も高額になってきている。幾ら性能が良くなってもひとたび止まってしまえば、バイクは両足が離れれば所詮左右どちらかに倒れてしまう乗り物であることを認識しておかねばならない。
以上