YEC TOURING REPORT vol2
筆者は25年前にも訪れていたはずだが、当時はもっと活気があったような記憶があった。これは恐らく季節や到着した時間帯が遅い(レストハウスのレストランは営業が11時から14時迄)ためであろう。現に一か所だけ営業していた売店のおばちゃんは山中オーナーに半額でいいからと売れ残りの冷えた大判焼きを売り付けてさっさと店じまいして帰ってしまったのを見ると14時半は既にこの辺では遅い時間帯なのであろう。
天野氏は柳津西山地熱で有名な西山地区に在住らしく、宿のかわちの女将さんとも懇意のようで筆者ら皆が初対面であったが、挨拶するとその会津訛りで地元の方であると直ぐに分かった。筆者も会津生まれだが、東京育ちのため日常では訛りは出ないが、会話は理解できるので会津訛りを聞いていると親戚といるようでほっとする。同じ会津地方でも広いので当然地域で多少違いがある。父方と母方の実家は背炙山という山を挟んで向こう側なのに結構違っていたので筆者も子供の頃は親戚が何を言っているか随分と戸惑った。
途中国道400号線の交差点を過ぎて会津中川駅手前にあり道の駅“奥会津かねやま”で一度休憩をすることにした。この道の駅は恐らく、つい最近新設されたと思う。何故ならほとんどの地図には掲載されていなく、筆者も記憶にないからだ。
“奥会津かねやま”では南会津地方の甘くて有名な南郷トマトが5個で¥150.-で売っていたので思わず購入した。宿で食べるつもりでいたが、結局食べそびれて自宅に持って帰って、何とか潰れずに済んだので美味しく頂いた。ニシンの山椒漬けとともに会津の名物である“棒たら”を探したが、残念ながら売っていなかった。ゆっくりと寛いでいると時刻も16時を過ぎていたので宿までは25KM程であるが、早めに宿に向かった。
宿である“清流の宿かわち”に到着すると、女将や仲居さん達が出迎えてくれた。今回はこの時点でバックに宿の前の只見川に掛かる赤い橋の瑞光寺橋を入れて天野氏とともに集合写真を撮ることにしていたので、それからチェックインした。天野氏とはここでお別れすることになり、短い時間でしたが好天の中で一緒に走ることができ、楽しい時間を過ごすことができました。地元を案内して頂きましてありがとうございました。
早目にチェックインして入浴できたので宴会前に春日氏が持参した落花生をつまみにしてビールを一本飲んでしまった。18時半からの夕食には乾杯の生ビールを先ほどまでご一緒させて頂いた天野氏と宿の女将の久美さんからのご厚意で御馳走になり、この場をお借りしてお礼を申し上げます。かわちは唯一筆者ら一行が毎年リピートしている宿であり、 それは何と言っても女将の従業員への教育なのか仲居さん達の細かい気遣いが嬉しく、筆者らのような低料金設定のライダーにも料理は会津の郷土料理を中心にして郷土色豊かな趣向を凝らしたその時期しか食べられない旬の野菜を提供してくれる。毎年何か新しく味わう出会いがあり、宿泊客へのこだわりを持ったおもてなしが伝わってくるからであろう。
因みにここで女将について紹介すると名前は久美さん、年齢は不詳?柳津では柳津タクシー(電車で来る場合は柳津駅から無料でかわちまで送迎してくれるそうだ)やGS及び福島県内各所にスーパーかわちや及びかねかを展開する(有)河内屋商店の専務でもある。 特に柳津温泉の観光大使として県内外のメディアにも出演している有名人であるそうだ。これは会津坂下に在住の筆者の叔母からの情報である。
食後は筆者らの部屋で二次会なるものが行われていたようだが、ほとんど記憶がないまま朝までぐっすりと就寝した。
走行距離 380 KM