湯西川温泉ツーリングレポート (一日目)
2009.09.20~21
目的地: 湯西川温泉
参加者: 齋藤、西村、春日、角野、吉野
集合場所: ショップ前
全走行距離: 472 KM
1日目
8月20日(晴天)
台風接近の可能性で悪天候が懸念されていたが影響はなく晴天に恵まれた。今年の夏は一般的に雨不足と言うべきなのであろうか9月に入っても秋雨前線による雨の印象がない。
6:55毎度のようにバイクガレージにスクーターでCBR900RRを引っ張り出しに向かい、集合場所のショップ前に着くと今回はあらかじめ30分前の7:00集合と言っておいた遅刻常習犯の西村氏が何と時間前の6:55には到着していたらしい。筆者が7;25に最後になったが全員揃ったので本日の予定コースを伝えてスタートすることにした。
いつもと多少違うルートでメリハリをきかすのと走行距離が短く、出発時間も遅かったので渋滞の予想される首都高は避けて、環七内回りから尾久橋通りを右折し埼玉県に入り、新郷から首都高下に右折し、そのまま国道122号線経由で浦和ICより東北道にすべり込んだ。この料金所周辺では予想通りのかなりの渋滞でここまで一般道を使ってきたのは正解であったようだ。
蓮田SAも溢れるばかりの車とバイクで埋め尽くされており、この状態で日光方面に向かうコースは上りのいろは坂でも渋滞がひどいことが予想されたので諦めて、先月の南会津方面のコースと重複するが、休憩場所等の地理的な目途もたつので西那須野塩原ICまでの利用に急遽変更することになった。先月の暑さとはやはり9月のそれは違うもので今回は長い区間に渡り渋滞のなかでの走行を強いられたが上河内SAまで一気に進み、予定通り西那須野塩原ICで降りた。
いつもと多少違うルートでメリハリをきかすのと走行距離が短く、出発時間も遅かったので渋滞の予想される首都高は避けて、環七内回りから尾久橋通りを右折し埼玉県に入り、新郷から首都高下に右折し、そのまま国道蓮田方面のコースと重複するが、休憩場所等の地理的な目途もたつので西那須野塩原
IC前を東西に横切る国道400号を右折して塩原方面へ向かい、前回は素通りしてしまった“道の駅 しおばら”に立ち寄り少々早めの昼食にすることにした。まだ11時過ぎではあったがこのペースでは宿に早めに到着することになりそうなので早目の夕食を考慮して席が空いているうちに食べることにした。この辺もそばの栽培とそば打ち体験などをセールスポイントに看板を掲げているので定番ではあるがもりそばとミニかき揚げ丼を注文することにした。そばは未だ新そばとはいかないが、かき揚げはこの辺で収穫した野菜のかき揚げで質・量、値段的にも¥350.–と手頃で美味であった。食後は中庭ではフリーマーケットが開催されていたが興味なかったので土産物売り場の建物裏側のベンチで那須の山々の裾野に広がる高原に咲き乱れる白いそばの花、オレンジ色のコスモス、黄色いひまわり、そして真っ赤な彼岸花(別名:曼珠沙華 ユリ科の多年草で球根性植物、アルカイドという毒性を有しており、田んぼの畦道などに野ネズミやもぐら等穴を開ける小動物の忌避用に植えられることが多く、開花期間は一週間程度で9月の彼岸の頃に開花するが、それまで何もなかったところにある日突然真赤な花が咲き始めて、突然茎ごと折れて跡形もなくなってしまうその名前の由来とともに別名が他にも多く存在する不思議な花である。以前住んでいた戸建の裏に中学校の花壇があり、この時期よく目にしたものであった。)が雲ひとつない青い空に映えて美しい景観であった。結局一時間ほどそこで寛いだあとに出発することになった。
ここから塩原温泉郷を抜けて上三依で国道121号線(会津西街道)までの区間を会津東街道と呼ばれ の渓谷に幾つもの温泉やそこに流れ込む滝が存在する。比較的近場の温泉なのだが温泉郷としてのネームバリューと老舗旅館、ホテルが多いせいか料金的に割高で筆者には魅力を感じられないので行ったことはないが、唯一一番手前の田中屋さんの露天風呂(目の前の国道400号線より崖下に降りた渓谷沿いにある露天風呂で旅番組でも何度か紹介されている。)には日帰り入浴ではなく、宿泊して早朝に入浴してみたい。この塩原温泉街を抜けると鶏頂山を越えて龍王峡まで貫く日塩もみじライン有料道路があるが今回は目的地が湯西川であるため五十里湖で進路を変更するためそのまま尾頭トンネルを越えて上三依より国道121号線に左折した。
暫く進むと五十里湖が眼下に見えてきた海尻橋を左折してすぐに以前は展望台とレストハウスが存在したがその表示が出てこない、勘違いかと思い行き過ぎて五十里ダムの展望ができるレストエリアがあったがそこは筆者の記憶にある場所とは程遠い場所であった。結局川治温泉まで下ってしまったのでUターンして海尻橋を対岸に渡ってみるとその記憶にある展望台に向かうと思われる上り坂は立ち入り禁止の看板があり電力施設が管理する場所となっていた。筆者の記憶は15年以上前のものだったが確かにそこに存在したのは事実である。当時から人影は少なく閑散としていたが実際に無くなってしまうと残念である。
気を取り直して先ほどから標識に出ていた“道の駅 湯西川”に向かう途中、前方をやけに車高のあるバスがゆっくりと走っている。よく見ると後方部中央にプロペラが見える。直に水陸両用バスであることが分かったが目的地は同じ道の駅であった。バイクを止めて水陸両用バスの観察に入った。1時間20分のインターバルで有料(¥3,000.–)運行しているらしく、確認するとここを出発して陸送で川治ダムまで行き、ダム見学とダム湖での遊覧船として活躍するそうだ。
暫く進むと五十里湖が眼下に見えてきた海尻橋を左折してすぐに以前は展望台とレストハウスが存在したがその表示が出てこない、勘違いかと思い行き過ぎて五十里ダムの展望ができるレストエリアがあったがそこは筆者の記憶にある場所とは程遠い場所であった。結局川治温泉まで下ってしまったので気を取り直して先ほどから標識に出ていた“道の駅 湯西川”に向かう途中、前方をやけに車高のあるバスがゆっくりと走っている。よく見ると後方部中央にプロペラが見える。直に水陸両用バスであることが分かったが目的地は同じ道の駅であった。バイクを止めて水陸両用バスの観察に入った。)運行しているらしく、確認するとここを出発して陸送で川治ダムまで行き、ダム見学とダム湖での遊覧船として活躍するそうだ。以前テレビ番組で緩やかな坂を下って湖水に浸水して行く姿を見たことがある。これがまさにその水陸両用バスである。一同は興味津津で時間的には14時発に便に間に合い、宿への到着にもさほどの影響はなかったが、今年はこれまでと違い、経済的な事情により各自に負担を軽減すべく、民宿を中心に宿を予約してきたのでやはり一回¥3,000.–というのは宿泊代の半分近くを占める額で給料日前のこの時期に料金的な割高感は否めず、営業期間が7月中旬から11月末までの限定営業とは云え、冷静に見ていると同じTシャツを着たスタッフの数が必要以上に多いような感じがしたので人件費をセーブして料金をあと3割は安くして¥2,000.–前後であれば家族全員で乗船できると思えるのだが、現状であれば筆者らのように金額だけで諦められてしまう額であると思う。車体をよく見るとOSAKAと表示がある。
後日調べてみると大阪のNPO法人日本水陸両用車協会が所有するREGEND零ONE号というものらしく、同様の水陸両用バスが諏訪湖等各地でも最近は活躍しているそうだ。運営はそうでなくとも非利益団体としてのメリットを反映させられないものであろうか?その晩宿にもこの水陸両用バスのポスターがあり、宿の宿泊者へは¥500.–割引になるメリットがあることが分かったが宿泊後でないと利用券が活用できない。一同また日を改めてリベンジすることとして栗のソフトクリームを食べながら水陸両用バスが出発するのを見届けて我々も道の駅を出た。
国土交通省建設の湯西川ダムによる収容や代替え道路の建築が大分進んでおり、以前訪れたことがある湯西川周辺とは様相が違ってきた。春日氏のカーナビ先導も迷いを示しているらしく迷走ぎみであった。9月の政権交代で民主党マニフェストからこの湯西川ダムも2年後2011年完成まで辿りつくのか?今は走行中のこの場所もダムの底に埋まってしまうのかそのまま生き残るのか個人的には自然を残してもらいたいが、ここまで収容と道路の建設が進んでいるのを目の当たりにしてしまうと建設に長い年月かけてようやく反対から合意に至り、父祖伝来の故郷を捨てる地元住民の心情を考慮すると後戻りはできないのも納得できる。
いつもと多少違うルートでメリハリをきかすのと走行距離が短く、出発時間も遅かったので渋滞の予想される首都高は避けて、環七内回りから尾久橋通りを右折し埼玉県に入り、新郷から首都高下に右折し、そのまま国道蓮田方面のコースと重複するが、休憩場所等の地理的な目途もたつので西那須野塩原と手頃で美味であった。
食後は中庭ではフリーマーケットが開催されていたが興味なかったので土産物売り場の建物裏側のベンチで那須の山々の裾野に広がる高原に咲き乱れる白いそばの花、オレンジ色のコスモス、黄色いひまわり、そして真っ赤な彼岸花(別名:曼珠沙華 ユリ科の多年草で球根性植物、アルカイドという毒性を有しており、田んぼの畦道などに野ネズミやもぐら等穴を開ける小動物の忌避用に植えられることが多く、開花期間は一週間程度でが雲ひとつない青い空に映えて美しい景観であった。結局一時間ほどそこで寛いだあとに出発することになった。
ここから塩原温泉郷を抜けて上三依で国道暫く進むと五十里湖が眼下に見えてきた海尻橋を左折してすぐに以前は展望台とレストハウスが存在したがその表示が出てこない、勘違いかと思い行き過ぎて五十里ダムの展望ができるレストエリアがあったがそこは筆者の記憶にある場所とは程遠い場所であった。結局川治温泉まで下ってしまったので気を取り直して先ほどから標識に出ていた“道の駅 湯西川”に向かう途中、前方をやけに車高のあるバスがゆっくりと走っている。よく見ると後方部中央にプロペラが見える。
直に水陸両用バスであることが分かったが目的地は同じ道の駅であった。バイクを止めて水陸両用バスの観察に入った。)運行しているらしく、確認するとここを出発して陸送で川治ダムまで行き、ダム見学とダム湖での遊覧船として活躍するそうだ。以前テレビ番組で緩やかな坂を下って湖水に浸水して行く姿を見たことがある。これがまさにその水陸両用バスである。一同は興味津津で時間的にはというのは宿泊代の半分近くを占める額で給料日前のこの時期に料金的な割高感は否めず、営業期間が前後であれば家族全員で乗船できると思えるのだが、現状であれば筆者らのように金額だけで諦められてしまう額であると思う。車体をよく見ると割引になるメリットがあることが分かったが宿泊後でないと利用券が活用できない。
一同また日を改めてリベンジすることとして栗のソフトクリームを食べながら水陸両用バスが出発するのを見届けて我々も道の駅を出た。国土交通省建設の湯西川ダムによる収容や代替え道路の建築が大分進んでおり、以前訪れたことがある湯西川周辺とは様相が違ってきた。春日氏のカーナビ先導も迷いを示しているらしく迷走ぎみであった。
ようやく本日の宿である“民宿 やま久“に到着した。まだできた。温泉は単純アルカリ泉で肌に柔らかい良いお湯であった。民宿なので風呂場は洗い場が狭いので岩風呂の湯船と一度に3名程度しか入れない。男女兼用で入口にスリッパがなければ24時間入浴可能とのことだった。
18時の夕食までは春日氏が持参のPSPにダウンロードしたVシネマをTVに接続して鑑賞し時間をつぶした。部屋の外に出るとおいしそうな匂いが廊下まで立ち込めてきた。
時間通りに一階に囲炉裏端に向かうと5人組みの筆者達が一番大人数であったようで一番手前奥の特等席に案内された。既に囲炉裏には炭が起こされており、串焼きの岩魚、山椒魚、鹿肉をミンチにして味噌で和えて竹製のへらに塗りつけた竹べら、竹の節に日本酒をついだ竹酒、焼き鳥の囲炉裏料理と舞茸の天ぷら、鹿肉のたたき、きのこ卸などのお膳が用意されていた。
一斉に宿泊客が3か所ある囲炉裏端に集合し、宿のご主人の挨拶と料理の説明後に先代のご主人から受け継いだ一泊を同じ屋根の下で過ごす家族であると考えて宿特製のどぶろくを大きな漆の杯で回し飲みが始まった。グループ毎に飲みまわしてもなかなか減るものではなく最終的には3週回ってきた。麹が残っている外観から甘酒のようなものかと思ったが予想に反して飲みやすい柔らかな味で結構進んでしまう。
共同で取り分けて食べることのできる鹿汁はお米で造った丸餅を入れて食べることも自由にできる筆者もせっかくなので鹿汁を頂いたが鹿肉が柔らかく美味しかった。結構満腹になってきたがこのあとに予め注文しておいた岩魚の骨酒と鴨鍋が中盤頃に出てきた。これらは他のグループでは注文している者がいなかったようで我々だけ優越感を感じながら頂いた。
本来出されている料理も美味しかったが、鴨鍋も鴨の脂と葱が絶妙のバランスで思わず白飯を2膳も頂いてしまった。
また岩魚の骨酒も以前福島の土湯温泉で飲んだもの(杯に岩魚の燻製が入ったもの)とはまったく異なり、こちらの方が魚特有の生臭さがあり、一度焼いたものを燻製にして岩魚型の陶器に丸々一匹入れてぐい飲みに注いで飲みのだが、燻製らしくなく少々塩をふって飲むと生臭さが薄れて美味いそうだが、筆者はむしろこれが好きであり自分の心臓と相談しながらもつい進んでしまった。ご主人によるとここの骨種は先月行った南会津地方の檜枝岐村産のものらしく一度で3回はお代りができて、2回目の方が生臭さは薄れてより美味しいとのことだったので早速お代りをして試してみたが言う通りであった。
民宿ではあるがこれだけの郷土料理を堪能できれば十分満足できるもので、一泊二食で宿泊代は¥6,800.–となっており、事前に予約した鴨鍋、岩魚の骨酒は特別注文料理で別代金としても一人当たり¥8,900.–で価格からの予想は遥かに上回った。程よく酔いが回ってきたのか終盤に軽い動悸が出てきたので少々飲み過ぎたかと反省しつつも部屋に戻ると速攻で布団を敷いて横になり、知らぬ間に恐らく20時頃には寝てしまった。
走行距離 235KM